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【温故新地】vol.01 芸妓プライド(後編)


 

「温故」から「新地」へ

温故新地の後半戦は、地域のホープとして北新地社交料飲協会理事・徳永さんと、北新地社交料飲協会常務理事・上代さんにもご参加いただき、会場のみなさんと一緒にこれからの北新地をよくしていくためにはどうしていけばよいか考える時間を持ちました。


 

●ホープからの感想

前半「温故」の梅十三さんのお話しについて、感想をお伺いしました。


>上代さん

 私は大阪万博の前の年に生まれ、母も北新地で過ごして長いですが、自分が生まれる前、母の時代の前の話を聞くことができてとてもよかったです。

 私も北新地でお店を出している身ですが、今はネオンが煌々と付いているとか、タクシーは一台も入って来なかったというお話を聞いて、改めて、看板を出したらあかんなと思いました。今までの歴史を聞いて、「さすが北新地」と思われるまちをつくっていかなければなりませんね。


>徳永さん

 祖父も昭和32年から北新地でクラブをやっていましたが、直接話を聞くことができなかったので、当時の話が聞けてとても勉強になりました。障子の開け閉めにも気を使われていたと聞いて、私もお店を出しているので、グラスの出し方一つでも気を付けていかないといけないなと感じました。





●当時の北の新地と今の北新地


>梅十三さん

当時と比べると、「北新地の格式」というものは失われつつあるんじゃないでしょうか。北の新地を退いてしばらく行ってなかったら、黒服さんが道に立って大きな声で呼び込みをされていて、北の新地はどうなったかと思いました。昔は本当に静かな街でしたから。昔も、南の花街にはそんな部分もあったと思います。だけど、北の新地はそうじゃない。やっぱり北はいいな、おちつくな、格式があるな、とお客様だけじゃなくタクシーの運転手さんも言うてはりましたよ。


>上代さん

やっぱり、迷惑な客引きはあかんな、と思いますね。


>梅十三さん

昔は接待で来られる方ばかりでしたけど、若いお客様もたくさんみえるようになったような気がしますし、若い方はにぎやかな方がいいんちゃいますかねぇ。昔へ昔へ合わせようとすると、静かになり過ぎて、お客さんがびっくりしはるんちゃいますか。


>徳永氏

今も学生さんは来られませんし、北新地というステータスはちゃんと残っていると思います。偉くなって北新地に行きたい、と思われている方もいらっしゃいますよ。


>梅十三さん

昔から「いつか北新地に行きたい」と男性のみなさんは頑張られていたように思います。そういった雰囲気は守っていかなあきませんね。

そのためには働いておられる女性の方も、ちょっと気をつけなあきませんえ。帯を締めずに歩いてはる方も見かけますんで、あんまり恥ずかしい格好はやめた方がいいと思います。




●まちのブランディングと横のつながり


>上代氏

お店側はお客様を選べませんが、幸いなことに品のあるような方しか来られません。お店としては、そういった方々に来ていただけるような場所になるように、ということしか考えず、日々頑張っております。北新地のお客様の層からすると比較的若い方に来ていただいているのですが、こういった環境の北新地でお店ができるのは、先輩方のつくりあげられてきたものがあるからこそということを、ちゃんと分かっておかなければならないと思いますし、若い経営者にも伝えていきたいなと思います。


>徳永氏

私が堂島・北新地プライドの会に参加したきっかけは、横のつながりや縦のつながりをつくっていくことがひとつの担いのカタチだと思ったからです。当時のまち全体の横のつながりはどうやってつくっておられたのでしょうか?


>梅十三さん

お店同士はお客様からお客様への紹介で横のつながりがありましたね。花柳界同士、というのはやはりライバルだったのであまりありませんでしたが、北の新地のなかでは行事でお会いして、芸妓同士のつながりも増えましたね。顔を合わせる事のできる行事っていうのは、まちのつながりとして大事なんちゃいますか。


>上代氏

花柳界同士はライバルだったということですが、北の新地の芸妓さんの世界と、クラブの世界でもライバル視ということはあったのでしょうか。


>梅十三さん

それはありませんでしたね。個人個人で張り合う人はいましたけど、業界としての対立はありませんでしたよ。同じ地域にあるんだから、みんなで手を組んで頑張らはったらええと思います。



●参加者からの質問


Q. おもてなしのコツはありますか?

 まずはお客さんの話を聞くこと。お客さんに自分からモノを言うてはいけませんでした。すきなこと、苦手なこと、まずは聞いてから。お客さんにいらしていただいたら、まずは席について落ち着いてもらって、お話を聞いて、この方はどんな方かな、と様子を見ながら接していった方がいいんじゃないでしょうか。北の新地ですから、ありがたいことに、古いママさんのお店はホステスさんへの教育も違うと思います。

 時代の流れもあるかもしれませんけど、芸妓も変わりますしね。なにかひとつ教えても、「なにがいかんのですか?」って聞かれたら、ウッと返事に困りますねぇ。難しいですね。


Q. 聞き上手でありながら、人を惹きつける方法を教えてください。

 花柳界は花柳界、クラブはクラブの違ういいところがありますので、全部同じにはできませんけども、お客様の雰囲気を察知するための聞く耳をもつっていうのは大事ですね。花柳界というのは厳しい場でもありましたから、お客様はお座敷では難しい顔をされています。でも、その後クラブにお連れしたら、緊張もほぐれたお顔になられたのを見て、クラブはええなあと思いました。あんまりベタベタするのではなくて、クラブのいいところを活かして、横へ座ってお顔を見ながらやわらかい雰囲気にしてあげはったらいいんじゃないでしょうかね。


Q.遊び上手な旦那衆のお座敷での面白いエピソードは?

 今は2月に行われているお水汲み祭りでホステスさんが仮装する「お化け」ですが、当初はお茶屋さんでの遊びのひとつとして、男性のお客さんがカツラをかぶり、お着物を来て女装することを「お化け」と呼んでいたそうです。


下段右から2人目の方が男性で「お化け」をしている


Q.花と色の違いは何ですか?

 花は生けて見るけども、色はちょっとまじりますわなあ。明治までは色のまち、明治以降は花のまち。


Q.印象に残っている反省点と幸せだったこと

 梅十三さん~と声をかけていただいたり、今日もみなさんを前にしてお話しできていることは、北の新地で芸妓をしていてよかったなあと思います。本名で生きていたら、きっとこんなことあらしまへんでしたわ。置屋さんやお茶屋さん、お姉さん方にお客様に、周りの方々に人間性をつくっていただいて、北の新地の梅十三であることに、誇りを持っています。


Q.北新地がいいまちであるためには

 芸妓は素直であることが一番大事でした。言いたいことがあってもグッと我慢して、はい、と聞いて頑張る。素直に頑張っていたらみんな助けてくれはりますね。その努力がプライドにもなっていきますし、そんな人がたくさんおったら、きっといいまちになるんじゃないかと思います。みなさんにも、北の新地のホステスです、と胸をはって言えるような人になってほしいですね。


Q.今の新地に対する想いと若い世代に期待すること

 今の時代に北新地をどうしていけばよいかと考える人に、若い方たちも居て本当によかった。

 時代が変わってるんやから、時代に合わせて変えていかないといけないけれど、さすが北の新地やなあと言われるようなまちであってほしいし、北の新地というものが消えないように、どうかよろしゅうお頼もうします。



梅十三さんとホープのお二人


 

おわりに

 北新地がひとつのまちとしてつながっていくには、道で会ったり挨拶をしたりと、アナログコミュニケーションが大切だということが、梅十三さんのお話しからわかりました。北新地に生きるみなさんの気持ちや行動ひとつで、まち全体が良い方に変わっていくのではないでしょうか。

 梅十三さん、ありがとうございました。

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