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【温故新地】vol.02 クラブママプライド(中編)



 

北新地で働くことへ魅了された山名和枝さんは、次のお店を探します。このお店で働くことによって、山名和枝さんの働き方に新しい風が吹くことになり、現在へとつながることになりました。

 

●北新地で勤め始めて[ジロー時代]

 B&Bを去った後、目をつけたお店が「ジロー」さんでした。オープンしてから3年、ホステスさんの教育もままならない状態で、なおかつ良い子はB&Bに取られてしまい、お店は流行っていない状態でした。

流行っていないといっても、お客様は毎日どこへでも行けるくらいの交際費をお持ちだった時代。山名のママがお電話すると、たくさんお連れ様を連れてきてくださるお客様もいらっしゃいました。



頑張りが認められ、ハワイ旅行へ

そんな折、当時は入ることができないような大変厳かな雰囲気だった新大阪ホテルのパーティに呼ばれることになりました。パーティ会場では朝10時から5人で一生懸命働き、お客様とお話をする機会にお店の話をしたところ、その夜はお店が満員になるほどの大盛況。

 「こんなパーティにもっと参加したい」とお店のオーナーにお願いしますが、そうそう滅多にあるものではなく、残念に思っていたところに、たまたまお席につかせていただいたお客様が一流ホテルの課長さまという奇跡が起きます。

 この機会を逃してはいけないということで、お名刺をいただき熱い想いをお話されますが、断られてしまいました。それでも諦められない山名和枝さんは、手土産持参で何度も何度もお願いに伺い、やっと何かの折には声をかけるとお返事をいただけたそうです。

 

 ついにお声がかかったその日、ホステスさん5名での依頼のところ、山名和枝さんが選んだ5名とご本人の6名でパーティ会場へ向かわれました。ハプニングを見越して6名で伺ったことを気に入ってくださり、それからは毎日のようにパーティへ呼ばれることとなりました。パーティの後はジローも満杯に。そのおかげでNo.1にもなられたそうです。



山名和枝さん

「ジロー時代、オーナーから突然「明日の朝にゴルフ場に来なさい」と言われたことがあったんですが、集まったホステスは3人だけ。私を含めたその3人は、後に全員オーナーママになりました。経営者になる人は朝早く起きて仕事をするのが好きな人なんじゃないかと思います。」


ゴルフにも積極的にご参加されている様子


●北新地で勤め始めて(ダーリン時代)

 そういった活躍をみて、[ダーリン]のママから引き抜きのお声がかかったのですが、今のお店を辞める時は結婚するか独立するかとしか考えていないとお断りになっていました。

 7年勤めたジローでしたが、ついにはお誘いを断り切れず、ダーリンに移ることに。

当時ダーリンは、[太田]・[ラモール]・[ジュン]・[あざみ]という4大クラブの次をいくお店で、チャーミングでありながら男性実業家のようなママに魅力を感じてお店を移る決心をされたそうです。

しかし、いざ働き始めると、お店での働き方に疑問を感じ、1年で退店することになりました。



山名和枝さん

「ダーリンのママに熱心に誘っていただいたのに結局頑張れず苦い思いをしてしまいました。その経験から、人は無理やり引き抜いてもダメだと学ばせていただいたので、一度は働いてみたいなと思われるような働きやすい店づくりをしているつもりです。」



●ついに独立。オーナーママ時代

 ダーリンをやめてから、すぐには独立せず、銀座や北新地の有名店を回って歩かれた2ヶ月間。その際に北新地の有名クラブ[太田]でもすこし働いておられました。



山名和枝さん

「あの時、体験入店じゃなくて本当に働いていたら、後にクラブ太田を譲ってもらうことはなかったでしょうね。自分のお店のホステスさんは募集の案内を出しました。集まってくれた子たちはチャーミングな子たちばかりで、いい人に恵まれる運を持っているのかな、と手を合わせて喜んでいます。」




独立する時期にはご自身の妊娠もあり、お客様には黙って4ヶ月お店を休まれていました。出産後3週間で仕事に復帰。持って生まれた運に守られながら7年お店を続けられていました。そんな時、クラブ太田のお店を譲り受けることに。「夜の商工会議所」と呼ばれていた高級クラブを買ったということで、号外が出るほどの騒ぎになりました。





山名和枝さん

 「あのクラブ太田を買ったんはどこのおばはんや、とマスコミの方に騒いでいただいたおかげで、思わぬ宣伝効果になりましたね。今でもそれは続いていると思います。マスコミの方とも今では良好な関係を築かせていただいてありがたいです。」


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